自然科学

サハリン

POWRÓT
活動

ブロニスワフ・ピウスツキと他の研究者との相違点は、ピウスツキが長期間にわたって島に滞在し、各地で調査と資料収集に励んだことである。彼は3年間に旅行用四輪馬車、四輪荷馬車と橇で2,641キロ、乗馬で95キロ、海上を小船で491キロ、湖沼河川を舟で566キロ、冬道を犬橇やトナカイ橇で800キロ、そして徒歩で373キロを踏破した。都合4,966キロに上る。ちなみにサハリン島の全長は950キロ、東西は最大132キロ、最小26キロである。チェーホフは囚人の脱走を妨げる要素として、「通行不能なサハリンの密林、山地、たえざる湿気、霧、無人、熊、飢え、ブヨ、さらに冬になると恐るべき酷寒、吹雪」を挙げているが、まさにこれらの障碍を克服しての調査行だった。

典拠

沢田和彦『ブロニスワフ・ピウスツキ伝 〈アイヌ王〉と呼ばれたポーランド人』スレユヴェク、2021 年(ポーランド語)

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