博物館学
ニューヨーク
POWRÓT
活動
「私は、わが極東地方の異族民の広範な研究に着手したスミソニアン研究所とその博物館を訪問したいと思っています。数年前にここから何人かが、調査と大量の資料収集のために極東地方へ派遣されたのです」と、ブロニスワフは1906年8月1日付でアムール地方研究協会の委員会に宛てた手紙に書いている。彼がニューヨークで何をしていたのか、正確には分からない。アメリカ滞在は、ピウスツキの伝記における空白期間の一つであるが、10月初旬に彼がここに滞在していたことは確かである。
現在、ワシントンD. C. のスミソニアン協会国立自然史博物館には、ピウスツキが撮影したサハリンの先住民の写真159枚が所蔵されている。どのようなルートで、どのような経緯を経てこれらの写真がここにたどり着いたのかは謎だが、〈アメリカの人類学の父〉と呼ばれるフランツ・ボアズを介した可能性が高い。その際ピウスツキは、写真を渡す際にネガとその使用権を放棄してはいけない、とのアドバイスを受けたと思われる。
典拠
アントニ・クチンスキ「ブロニスワフ・ピウスツキ(1866–1918) 流刑囚にして極東民族の文化の研究者」『独立と記憶』22/2 (50)、7–93頁、2015年(ポーランド語)
沢田和彦『ブロニスワフ・ピウスツキ伝 〈アイヌ王〉と呼ばれたポーランド人』成文社、2019年(日本語)
沢田和彦『ブロニスワフ・ピウスツキ伝 〈アイヌ王〉と呼ばれたポーランド人』スレユヴェク、2021 年(ポーランド語)